桐蔭学園

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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桐蔭学園(とういんがくえん、英語表記:Toin Gakuen)は、神奈川県横浜市青葉区に存在する軍事教練施設である。表向きは私立の中高一貫校を装っており、実際に高い進学実績を挙げていることで知られている。

目次

概要

教練用制服(男女共通)。

主に若年層を対象としており、入校は12歳(小学校卒業後)から可能である。かつては全寮制だったが、現在では(自衛隊と同様に)自宅などから通うことが認められている。私立学校を装うために学校も併設されており、就学年齢の者に対しては通常の学校教育と軍事教練とが並行して行われる。尤も、“装う”といっても、現在では学校教育(=受験対策教育)そのものも軍事教練と同様に重要視されており、実際に旧帝大など高レベルな大学への進学実績を数多く挙げている。

教育目標には“真のエリートの育成”を掲げている。これも元々は、自衛隊などにおいて活躍する傭兵のプロや幹部候補生などを育てるという意味であったが、現在では、広く社会において活躍できる人材という意味に変化している。軍事的な知識を叩き込まれ、戦闘の理論と実際を叩き込まれた人材が、数多く、社会を動かす側の立場に回れば、日本社会がどのように変容してしまうのかは自明であろう。初めは単なる軍事教練施設でしかなかった桐蔭学園は、今や、日本の軍国主義化に一役買っているのだ。

何故、このような危険極まりない施設が、平然と存在し続け、ある意味で“危険な”人材を多数輩出し続けているのだろうか。

本記事では、その理由を、桐蔭学園の歴史に沿って説明する。

校舎

男子部と女子部に敷かれた"国境"

桐蔭学園の校舎には、多くの銃眼と見られる穴や、時計塔を装った見張り台、どう見てもマイクロミサイルポッドの形状をした視聴覚室、 世界最高の索敵能力を持った屋上レーダー施設などがあり、桐光学園を仮想敵として日々訓練を行なっている。

歴史

設立までの経緯

時は1964年、「もはや戦後ではない」との言葉が1956年に流行してから既に8年が経過したこの年、日本は高度経済成長と呼ばれる時代を経て、少なくとも経済的には完全に復興を成し遂げていた。この1964年は、日本で東京オリンピックが開かれた年であり、また日本が経済協力開発機構(OECD)に加盟した年でもある。誰もが、頑張って働けば明るい未来が待っていると信じていた。誰もが、忌まわしい第二次世界大戦のことなど既に忘れ去ろうとしていた。当時はベトナム戦争の真っ只中であり、戦争特需があった反面、反戦運動も高まっていたが、いずれにせよ多くの日本人にとって戦争は既に過去のものであり、他国が頑張っているだけのものであった。

しかし、そのような現況を憂う者もいた。当時、別の高校で教鞭を執っていた鵜川昇(うかわ のぼる)である。1920年生まれの彼は、師範学校(当時)を卒業後、徴兵され、陸軍の一兵卒として25歳のときに終戦を迎えた。まだ若かった鵜川は、日本が負けたのだとは信じることが出来なかった。他の国民が段々と日本が負けたことを信じるようになっていったのに対し、鵜川は、日本が負けたのは何かの間違いであり、全力を挙げて戦えばきっと米英などに勝てるはずだと信じていた。(体重が40kgしか無く、実際に戦場に行かなくて済んだものだから、好き勝手な妄想の世界に没入できたのだろう。)

鵜川の理想を実現するための一段階(イメージ)。
鵜川はいくつかの職を経たのち、日本の強さを後世にまで維持し続けるという崇高な目標のもとに教職に就いた。しかし、一教員としてできる活動にはどうしても限界がある。できれば自分で、軍事教練を主とした私立学校を作り、防衛大学と双璧をなす傭兵学校を作りたいと考えていた。

そんな折、鵜川は偶然にも勤め先の高校の保護者会(PTA)で、柴田周吉(しばた しゅうきち)と知り合う。柴田は当時、三菱化成(現:三菱化学)の社長であった。三菱グループの企業の社長ともなれば、財政的な支援が期待できるだろう――、そう考えた鵜川は、柴田へに近づき、言葉巧みに自分の思想を吹き込み、柴田も自分と同じように日本の現況を憂うように仕向けていった(この頃から既に、鵜川の天才的な洗脳能力が頭角を現しつつあったと言えるだろう)。

気がつくと、柴田は、横浜市緑区(現:青葉区)にある自社の研究所建設予定地を、鵜川に譲り渡し、また施設建設に協力させられることになってしまっていた。こうして、若年層向け軍事教練施設としての桐蔭学園が作られたのである。
(ちなみに、元々は鵜川はこの施設を「闘員学園」という名称にしようとしていたのだが、在日米軍基地のある神奈川県にそんな挑戦的な名称の施設を作ってはまずいとの柴田の主張により、「桐蔭学園」という当て字になったのだという。)

開校

さて、学校という器だけができても、生徒がいなければ話にならない。当時既に徴兵制が廃止されていた以上、単純に軍事教練施設として生徒を募集しても、応募は全く無いだろう。また、開校のための資金こそ三菱化成から巻き上げ多額の寄付があったものの、それに頼り続ける訳にもいかない。

そこで、鵜川は、最初はカムフラージュとして、普通の私立学校であるかのように装い、中学校を卒業したものの入れる高校が無いような生徒を中心に、無入試で入学させるなどの積極的な勧誘を行った。当時まだできたばかりの学校であるにも関わらず、「オール1の子でも帝大に入れます」などと無茶を言って勧誘したというエピソードも残っている。現代の桐蔭学園ならば確かにそのような事例も少なくないが、当時としてはどうみても虚言であった。実際、鵜川の主眼は軍事教練であり、傭兵の育成であったのだから、当たり前である。それでも、行くところが無いよりはと、数々の生徒が集まった。

教官には、軍隊時代や、別の高校で務めていたときの仲間などを集めた。勿論、その仲間たち全てが鵜川と同じ意思を持っていたわけではないが、鵜川はこれらを巧みに勧誘し洗脳していったのである。思い込みの激しい人間は、周囲の者をも汚染してしまうのだ。

開校から数年ほどは、ほぼ鵜川の目論見どおりに生徒達は順調に育ち、18歳で卒業した者は多くが自衛隊に入隊するか、軍需関係の職に就いていった。しかし、やがて鵜川が予想していなかったことが起こり始める。

生徒の変化

教練の様子。

鵜川をはじめ教官達は、事あるごとに、生徒達に「自分は優秀な軍人である」という暗示を掛けるよう努め、それは確かに効果を挙げていた。しかし、ある時期から、生徒達の中に「これからの軍人は、たとえ一兵卒と言えども、政治や社会についても高い見識を持たねばならない」という知勇共立思想をもつ者が現れ始めたのだ。この思想は、あっという間に学園じゅうに広まり、生徒達からは、軍事的な理論や実践の授業以外にも、国の最高学府である大学へ潜入するための授業(いわゆる受験対策)をも行われるべきだとの要求が高まった。

あくまでも軍事のエキスパートに拘ろうとしていた鵜川は、一旦はこのような要求を撥ね付けたが、しかし、日本全体が着実に平和ボケへの道を歩もうとしていることに対して危機感を抱き、教育方針の転換を決断した。即ち、単に軍事にのみ秀でているのではなく、この国を真に正しい方向に導くことができる“真のエリート”を育成すること――。ここにおいて、本来は単なるカモフラージュだった私立学校としての側面が、軍事教練施設と一対の両輪をなすことになり、現在の桐蔭学園の教育体制への道筋が付けられたのである。

鵜川は、他の学校や予備校などから優秀な教師を集め、やはり同様に洗脳していった。「自分は優秀な教師である」、「自分は素晴らしい授業で優秀な生徒を育てることが出来る」、「自分の授業に真面目に取り組まない者には、体罰などの強制力を発動しても良い」……、現代の視点から考えるとやはりあれだが、当時としては生徒が死なない程度の体罰はどこの学校でも当たり前であった。更に、そもそもが受験対策は生徒たちからの発案である(それ自体が鵜川や教官陣による洗脳の影響によるものではあるが)。生徒は誰もが「自分は優秀である」と信じて真面目に取り組み、教員も寝る間も惜しんで受験対策に取り組んだ。やがて桐蔭学園は、次々と東大慶應早稲田などの名門大学へと合格者を輩出できるようになった。

なお、通常の学校についての記事であれば、このあたりで「この時代の卒業生には、政治家の○○や軍事評論家の××、陸上自衛隊の△△などがおり…」と述べるべきところであるが、ここでそれを述べることはできない。桐蔭学園の卒業生は、そのように目立つだけで権限の少ない地位には就かず、東京であれば霞ヶ関の霞の中のような位置に紛れ込み、影から少しずつ日本を動かしてゆくように訓練されているからである[1]

現況と未来

最新の科学技術を駆使した教練も行われている。

現在、桐蔭学園は、幼稚園や小学校、大学までも設けており、更にドイツにもドイツ桐蔭学園を設けている。日独伊三国同盟の例を挙げるまでも無く、これは勿論、志を同じくする同盟国の仲間との交流――具体的に言えば、かつて隆盛を誇った国家社会主義ドイツ労働者党の残存勢力との交流が目的である。在校生や教員だけでなく、毎年数多くの卒業生が互いに行き来し合い、情報交換を密に行っているという。

ところで、読者諸賢は「監視社会」という言葉をご存知だろうか。一般的には、互いが互いを監視しあうギスギスした世の中を形容する言葉として用いられているが、これは元々、この桐蔭学園が発祥である。諜報訓練の一環として、桐蔭学園内には密告制度が存在しているのだ。もし学園全体の目的と異なる思想を抱く者がいれば、即座に通報され、生徒指導室などにおいてより強力な洗脳が実施される。この制度のおかげで、桐蔭学園の生徒や教員には離反者は存在しないのである。

また、日本を再び軍事的に高い地位に高めるには、まずは国民の士気高揚が不可欠である。そのため、既に日本社会の様々な要所に巣食って侵入している桐蔭学園の卒業生たちは、この訓練で培った情報収集能力を生かし、特に理数科出身の者が中心となって「エシュロン」と呼ばれる盗聴網を完成させている。そして、日々、国民どうしの情報交換を盗聴し、その中に偽の情報を紛れ込ませることで、少しずつ社会不安を煽っている。

既に彼らの目論みはほぼ成功しており、日本国民は、常に互いに互いを監視し続けるようになっている。これは正に、戦時中の隣組制度や密告制度の礎(いしずえ)をなすものであり、挙国一致体勢を形作るために必要なプロセスのひとつである。また、マスコミによる大衆煽動の訓練なども行われており、最近(2008年)では特に輸入食品に対する不安を煽ることにより、いずれ実施されるであろう国がひとつひとつの商品の質と量を保障する制度――即ち配給制度を国民が抵抗無く受け容れられるような素地作りが図られている。

既に創立から40年以上が経過した桐蔭学園が、これまでに何人の卒業生を輩出したのかなどは、公式サイトには何故か記されていない。しかし、仮に年間1000人としても数万人単位になるはずである。日本社会への彼らの浸透が、どれほど進んでいるのかは、外部の者には推し量る術も無い。

中等教育学校の開校、そして天命尽きる

鵜川メモリアルホールに掲げられている、鵜川昇の肖像画(複製)。
鵜川と日本国元首相安部との関係。鵜川はいすから一歩も動かず、安部氏は立たされたままだった。

中等教育学校の開校を許可する法律がまだ法案でしか無かったころから、鵜川は中等教育学校に興味を示していた。知勇共立思想の影響により既に卒業生達は日本の自衛隊、官庁の奥底まで浸透していたが、鵜川は夢を究極の高みへと導くべく、既存の中学校より更に知謀の側面に長けた人間を育成したいと考えていたのだ。事実、東欧民主化革命とそれに続くソビエト連邦の崩壊、新興国の台頭など多極化する世界に鵜川も不安感を覚えていたに違いない。鵜川は計画を現実のものとすべく、実現を急いだ。

そして20世紀最後の年である2000年に、中等教育学校を開校。アメリカナイゼーションの中、鵜川は真のエリートを育成すべく尽力し、2007年春に第1期卒業生を世に送りだした。既にこの時、鵜川83歳。日々の激務は確実に鵜川の身を蝕みつつあった。その直後、遂に鵜川は倒れる。

2007年11月、鵜川昇死去。享年84、死因は多臓器不全。ちなみにこの年の秋、日経平均株価は1万6000円台、5000円台と高水準をマークし、1960年代後半のいざなぎ景気を超えた景気が訪れていた。

鵜川は、自らが願った「国力の回復」を、目(ま)のあたりにしながら死んでいったのである。

鵜川は死の直前まで桐蔭学園を支配し続けていたが、彼の死により桐蔭学園に何らかの変化が起こるのではないか、求心力を失った学園はOB組織を含めて瓦解するのではないかとの期待が、桐蔭の実態を知る一部の者の間では高まった。
しかし、残された生徒や教員たちは鵜川の遺志を永遠に語り継ぐために、既存の講堂を「鵜川メモリアルホール」と改め、壇上の中央に鵜川の肖像画を掲げた。そうして、桐蔭学園では今日も、受験対策と軍事教練とが並行して行われている。


鵜川は、死してなお、生ける人々を動かし続けているのだ。

ちなみに水銀燈党員が正式名称だとされてきたが、最近は青い子の勢力が伸びてきて校内で内紛が起こっている状態である。 入試は水銀燈への愛を語るだけで入れるのは有名である。


関連項目

脚注

  1. なお、自称専門家集団の百科事典では、「主な出身者」として、ごく少数のスポーツ選手や文化人だけが記されており、政財界へ進んだ者については1名も記されていない。高い進学実績を誇るにも関わらず、政財界関係者が1名もいないのは、はっきりいって異常である。このことからも、既に何らかの情報統制が行われていることは明らかであると言えよう。
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