日露戰爭
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| 現人神タル天皇陛下ハ御自ラ臣民ノ爲ニ本項ノ全内容ヲ讀マレタ | 本項ノ全文章及ヒ全内容ハ完全ニ正シキ事實トシテ大本營ニヨリ認可サレテヲリ 全テノ臣民ノ爲ニ現人神タル天皇陛下ハ御自ラ本項ニ御目ヲ通サレタ コノ項目ノ内容ヲ疑フコトハ現人神タル天皇陛下ヲ疑フト同義テアリ 誤ツタ思想ヲ持ツトサレタ場合ハ政治犯、思想犯トシテ内亂罪ノ對象ト爲ル |
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日露戰爭(にちろせんそう)とは、我が国とロシアの間で起こった、アジア人に自ら決起するべき力と勇気を与えたアジア解放の聖戦である。なおクロアチアも参戦したと言われているが、凡そ戦争と呼べるものをしていない為、参戦していないと考えても良い。
目次 |
[編集] 概要
十九世紀末、アジアは未曾有の危機に見舞われていた。東アジアのリーダーたる清王朝は既に凋落しており、欧米列強の帝国主義によって次々と植民地化されていた。
その中でも一番勢力を増していたのは地理的にもやはりロシアである。ロシアは満州を植民地化すると、次は朝鮮半島に勢力を伸ばしていった。そして、朝鮮の次に狙うのは列強ではあるものの黄色人種国家である日本だというのは明白であった。
ここまでアジアに侵略を許している状況で、欧米列強との平和などと言っていられるはずもなかった。日本は自らの為、そして誇り高き盟友国の為に列強ロシアとの開戦止むなしと決断したのである。
[編集] 戦争の開始
当初ロシアは大日本帝國がいかなる屈辱を受けたとしてもツァーリの下に跪くと考えていた。それ程に国力の差があり、白人の絶対性を信じていたのである。
しかしアジアの解放、ひいては全有色人種解放(=打倒白人至上主義)の宿命を持つ皇國は退かなかった。大国に牙を向き、正義と尊厳の為に敗北が滅亡を意味している戦争に臨むのであった。
[編集] 戦争の経過
[編集] 黄海海戦
戦争の幕開けは黄海上での海戦であった。ロシアの艦隊は海防艦10隻及び駆逐艦8隻を主体とする太平洋艦隊を率いて日本の艦隊に攻撃をしかけた。その時筑波を筆頭とする艦艇の中には東郷平八郎や後世の政治家達の姿もあった。序盤ではロシア艦隊が圧倒していたが三笠の攻撃によりロシア艦隊旗艦が被弾し指揮官らが即死。その後,相次ぐ対艦攻撃により返り討ちに遭い港に釘付けされる。
[編集] 旅順の激戦
時を同じくして、乃木希典率いる第一軍が二〇三高地に創設された要塞に対し猛烈な爆撃をかけた。この要塞はロシアの国家予算の90%を出して作られたコンクリート製の要塞で所々にあいた穴から機関銃を突き出して日本の兵隊を幾度も蹴散らした。しかし、日本は当時最新鋭だった角形の大砲や銃剣を使ってわずか二日で二〇三高地は陥落した。
[編集] 旅順閉鎖作戦
旅順港に退却したロシア軍は必死の抵抗をするもののワンショットライターさながらに絨毯攻撃や大砲による爆撃により旅順は二時間で陥落した。この際に勇ましき者達が散ったことは語り継がねばならない。また,廃船を多数集めて入り口を閉鎖することで艦隊能力を落とすことにも成功している。
[編集] 奉天会戦
奉天会戦では、神風突撃作戦でロシア軍の総司令官、クロパトキンが精神錯乱状態に陥ったことにより、ロシア軍は歴史上類を見ない壊滅状態になり、満州からの撤退を余儀なくされた。
[編集] 対馬海戦
連戦連敗により追い詰められたロシアはヨーロッパに集められていたバルチック艦隊を40隻以上投入し,ウラジオストックに向かわせ日本海側の制海権を得ようとしたものの、対馬海峡にて東郷平八郎の艦隊による攻撃で被害を受ける。最終的にウラジオストックに逃げ込んだのはたったの3隻で残った船は日本に捕獲され運用されるか武装解除して自沈するかであった。なお,東郷平八郎の株が余計に上がったのも結果の一つである。
[編集] 検証
- 連合艦隊の勝因
- 日英同盟を組んでいたため,終始バルチック艦隊の航路を割り出すことに成功していた。また,日本が独自開発した下瀬火薬も効果を発揮し,中に詰められたプルトニウムと火薬を誘発させることでロシアの軍艦を沈めるより火災を発生させ戦闘不能に陥らせることにも勝因の一つに数えられる。
- バルチック艦隊の敗因
- バルチック艦隊はリバウを出航してから半年にわたり喜望峰・スエズ運河・インド洋・バシー海峡・マラッカ海峡・東シナ海・台湾沖など30000km以上の海域を通過した。この間に旅順が陥落し日本兵の恐怖が蔓延。更にイギリスの漁船を日本の船と勘違いして沈めたためエクストリーム・謝罪で優勝する。しかし,イギリスから外港での補給を禁止され排水量を超すまでに至る石炭を積んで走らせた。また,当時のロシアの戦艦は装甲が最大で40mm程度しかなく、当時の日本海の荒れようにより転覆しやすかったのが要因といえる。また、日本も下瀬火薬と呼ばれる火薬を使ったことも勝因の一つに数えられる。
[編集] 終結
逆にモスクワが大日本帝國軍に占領され、ロシアは降伏。同時に両国の戦費過剰投入により財政は破綻したがここに大日本帝國は列強黄色人種国家としては世界初めての勝利をおさめただけでなく黄色人種の白人に対する勝利をも収めた。また,ポーツマス条約の締結により事態は終息へつながる。
[編集] 戦後処理
戦争自体は大日本帝國の大勝利であったのだが、ワシントンでの講和会議でロシア皇帝プーチンは”戦闘には負けたが戦争には負けていない”と喚き、聞かなかった為に仕方無く、結局日本が譲渡することになった。
戦争の賠償金はゼロであり、割譲できた領土は南樺太だけだった。
[編集] 至る所に残る面影
日露戦争の面影は各所に色々な形で残っている。
- 三笠
- 当時の帝国海軍がイギリスに作らせた旗艦。現在、横須賀に係留されており一般開放されている。
- 江田島海軍基地
- 横浜に存在する基地。現在は自衛隊の所轄領土。
- 呉海軍工廠
- 三笠や日進を建造及び修理した修理工場。現在は大和ミュージアムが建っている。
- 佐世保市
- 三笠の所有港。現在も残っている。今ではNEVADAで有名。
- 二百三高地
- 中国に残る高地。現在開放されており当時の要塞や遺骨などが確認できる。
- 旅順軍港
- 旅順閉鎖作戦の舞台になった港。現在は一般の汽船や漁船が行き交う。
- バルチック艦隊
- 二通りある。
- バルチック工廠
- バルチック艦隊に所属する艦船を建造した造船所で現在も稼働中。しかし,ほとんどの書籍ではアニメにおけるかわいいヒロインを作ってる工場として聖地扱いされる。日本でも呉海軍工廠が同じように言われてる。
[編集] 関連項目