マツダ・RX-7
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
マツダ・RX-7は、マツダ株式会社が一時期生産していたスポーツカー。型式によってはサバンナ・RX-7、アンフィニ・RX-7と呼ばれるものもある(詳細は後述)。
目次 |
[編集] 概要
マツダと言えばロータリーエンジン、ロータリーエンジンと言えばマツダ、ということで、むやみやたらとロータリーエンジン搭載車を出しまくっていたマツダであったが、その代表格がコスモシリーズと、このRX-7シリーズである。
現在ではロータリーエンジン搭載車と言うと、RX-8という実にかったるいマイルドな味付けのスポーツ風味ファミリカーのみであるが、バブル経済華やかなりし昭和時代を中心とした全盛期にはバリバリのスポーツカーを次々と出していた。
その中でもRX-7は極めつきで、あの悪口大好きな2ちゃんねらーをして日本車としてはあらゆる意味で別格とまで言わしめたほどである。
しかしその歴史は平坦ではなかった。
これはRX-7のたどった数奇な運命の物語である。
[編集] 初代
レシプロエンジンの性能が今ほどよくなかった1960年代、ロータリーエンジンは小さく軽量のエンジンからありえないハイパワーを絞り出す、まさに未来のエンジンとしてもてはやされた。各社競ってロータリーエンジン搭載車を出し、当時のジドーシャ少年たちは目を輝かせてロータリーに憧れた。
マツダもご多分に漏れず、1971年には「サバンナ」あるいは「RX-3」の名前でスポーツモデルを販売し、けっこうあたった。これに気をよくしたマツダは、
- 「だったらスーパーカーみたいな形で作ったら売れるんじゃね?」
と安易な発想のもと、第一次スーパーカーブームに乗っていかにもーなデザインの車を製造、これを「サバンナ・RX-7」と名付けた。
そして実際に、けっこう売れた。
思えばこれが全ての始まりであった。
[編集] 2代目
いくらロータリーといえどもNAであったサバンナは、後にターボ搭載車も出たがパワーは今ひとつ、しかも如何せん足回りの構造が古すぎて素人の手に負える車では無かった。その上、オイルショックと排ガス規制のダブルパンチでロータリーエンジンに未来がないと悟った各社は次々とロータリーから手を引き始め、サバンナ自身も規制強化により販売中止を余儀なくされたのである。
しかし、なぜかマツダはロータリーにこだわり続け、ついにリアの足回りにマルチリンクを導入したターボモデル、2代目RX-7を誕生させるという暴挙に出た。なにがあったんだマツダ。
ちなみに名前はやっぱり「サバンナ・RX-7」である。ちょっとは考えろ。
せっかくだから贅沢に作っちゃおうぜ、とばかりに遊びまくったこのRX-7は、確かに高性能だったが、同時にいろいろ専用設計だった。メーターパネル周りは特に、ああ、バブルってこういうことなのね、というくらい専用設計で、普通の神経では思いつかない配置のスイッチ類は、初めて乗った人は間違いなく操作方法がわからない。
専用設計はこれだけではなく、あまりに細かく専用部品が並んでいるため、後にこの型のRX-7に乗った人は、社外パーツのリストの中から「マツダ用(FC3Sは除く)」の記述を次々と発見して愕然とさせられるのであった。
また車の味付けとしては見事なまでのツンデレであった。いや「ツンツンツンツンツンツンツンデレ」くらい、その扱いに困る超ピーキーな味付けで、結局、そこらの素人の手に負えるもので無いことには、いっこうに違いがなかった。
しかし、その見事な「ツン」ぶりに萌え死に寸前のカーマニアたちにはウケが良く、しかもロータリーならなんでもいい、というロリータロータリー信者の勢いもすさまじかった。さらに、1200kg台の軽量ボディに185馬力(後に205馬力、一部215馬力)のエンジンの組み合わせは当時としては超ハイパワー、後に日産・スカイラインGT-R(所謂、R32)という、グループAに勝つためだけに、競技用車両に保安部品をくくりつけた状態で売ってホモロゲ獲得した上で、開発費は下位グレードで回収するという空気読まない車が登場するまでは最強のスポーツカーの一つであった。
そして時は折しもバブル経済真っ盛り。こんな車が売れないはずがなかった。
[編集] 3代目
これに気をよくしたマツダは、
- 「もっと力を入れた車を出せばもっとバカ売れじゃね? う~ん、俺って頭良い!」
と安易な考えのもと、2代目RX-7の販売からわずか数年で開発チームを編成、これを別室に隔離して「おまいら、何でも良いから好きなように作りやがって下さい」と放置プレイに走った。
好きにしろと言われた開発チームは、風洞実験を好き放題やりまくって空力を研究したり、アメリカに渡ってゼロ戦の実物(第二次大戦時代に飛んでいた本物の動体保存機)を見せてもらうといったちょっと意味不明な旅行をしたりと、まさにやりたい放題であった。
また、現行(当時)のサバンナ・RX-7は車体価格300万円台前半であったが、好き放題やらかした結果、どうやら400万円に手が届きそうな見込みであった。しかし「バブルだからいいんじゃね? 売れるよ、売れる」と誰も気にしなかった。
かくして、いくつかの改良のために255馬力になったエンジンを搭載した新型の車は、まさにバブリーという言葉をそのまま形にした仕上がりであった。1200kg台前半の軽量ボディがもたらす優れた推力重量比、4輪とも変則ダブルウィッシュボーンという奢った足回り、乗降すら困難なほど低いボディとそれによる低重心、板金修理なにそれ美味しい的な曲面多用ボディ、そしてもちろんスーパーカー世代が泣いて喜ぶリトラクタブルヘッドライトと、スポーツカー好きはもちろん、スペック至上主義のオタクたちまでも満足させる驚くべき車が仕上がり、FD3Sの型式のもとで販売されることになったのである。
[編集] 販売
こうして満を持して生まれたアンフィニ・RX-7(後にマツダ・RX-7[1])は、さらに加速するバブル経済に乗ってバカ売れする予定であった。
が、予定は未定とはこのこと、さぁこれから販売というまさにそのとき、なんとバブルが崩壊しちゃったのである。
慌てたマツダは、数度にわたるマイナーチェンジでいくつかの部品を省略、価格を下げる作戦に出たが、如何せん、オプション次第で400万を超える車体価格を少しくらい下げたところでどうにもならず、しかも実用性皆無のこの車は見事に売れなかった。
後に265馬力(中期型)、280馬力(後期型)とパワーアップを図るも、その販売時期は見事にバブル崩壊の不景気と一致しており、さらに排ガス規制と対人安全基準の強化に対応できなくなって、ついに平成13年に販売終了となった。
- その販売台数は、歴代のRX-7シリーズの中で最悪であった。
[編集] 祭りの後
こうして、バブルという一つのお祭りの中でナナメ上を突っ走り続けたRX-7であったが、冷静になって考えてみると、いろいろ使えない車であった。
肝心のロータリーエンジンも、気が付いてみればマツダ1社しか作っておらず、この状態でたいした進化を望めるはずもなかった。実際、パワー面も燃費面も頭打ち、性能面でレシプロに追い越され、手詰まり感満々のこのエンジンにこだわり続ける理由と言えば、せいぜい趣味の世界(具体的に言うと筑波サーキット周辺)くらいであろう。
キャビンは狭い低い暑いの三連発、体を折り曲げた無茶な姿勢でしか乗れないこの車は女の子には逃げられること確実である[2]。それだけではない。燃費は最悪な上、オイルが燃える、冷却水も燃える。そして数千キロごとにプラグを交換しなければならない。4本で9千円の[3]。ただ走らせるだけでも、マフラーからお金と火をまき散らしている。そしてマツダお得意の電装系故障の連発とバケツをひっくり返した様な水漏れ。車体価格の高さも合わせて、とにかく金がないと乗れない車の代表格となった。
しかし、その乗り味は高級車とは正反対で、足回りは固くピーキー、低速トルクがスカスカ、市街地走行はむしろ拷問である。金持ちはこんな車に乗らない。肝心のスポーティな乗り味も、高速走行に的を絞ったおかげでそれを実感する機会は珍しく、宝の持ち腐れとることのほうが多い。
未だに若者に人気のこのRX-7であるが、こうした恐ろしい事情を思い知ってすぐに手放す人も多い。逆に、ある程度の年齢になるとこんな車に乗るわけには行かない。ターゲットとする層(車好きの若者)は買えず、買える層(経済的に余裕のある中高年)にとっては魅力がない、はっきり言って、どの年代でも乗れない意味不明な車である。
浮かれたバブリー思考の大半を「運動性能」と「外装の格好良さ」に浪費し、あまりに偏った作り込み故に、宙に浮いた存在として伝説と化したこの車は、バブルの遺産として遠くから眺めているのが正しいのかもしれない。
しかし、少なくともこれだけは言える。
こんな車はもう二度と出ないだろう。
[編集] 脚注
- ↑ このあたりの詳細はクロノスの悲劇を参照のこと。
- ↑ それでも助手席に乗ってくれるようなら、その娘のことはもう心配しなくて良いだろう。もちろん、その後ヨメになった瞬間に「こんな車捨てろ!」と怒鳴れることになるが。
- ↑ ロータリー用プラグは特殊な設計のため、普通のプラグの2~3倍の値段がする上、普通のお店では売ってない。